大切なのはレーシックの実績数ブログ:2017年02月06日
生まれたばかりのむすこを抱いたとき、
おれはもろくて壊れそうだと感じました。
これまで出会った何者にも似ていない赤ん坊は
ただ弱々しく震えるばかりで、
おれはかたまってしまいました。
人の命をこれほど間近に感じたのは初めてでした。
無事に育ってくれるかどうか不安でたまりませんでした。
今1歳になったむすこは連日笑顔を見せてくれます。
おれは、ときどき実家に帰って父親に会います。
月並みですが、老けたなぁと感じます。
お子さんのときから、
父親とはあまりいい関係を築いてきたとは言えません。
いま父親を見て、不器用な人だなと思います。
摩擦も多かったことでしょう。
でも、ときどき、
父親の中に自分の姿を見ることがあります。
むすこも、
どこかでおれに似るのかもしれません。
勝手に学校や仕事を辞めてしまうかもしれないし、
知らないうちに家族を作っているかもしれません。
そうなったら多少苦労するだろうな…とは思います。
ただ、何があっても
戻れる場所を作っておこうとも思います。
まだむすこがこの世に存在する前に、
もし障害を持って生まれてきたら…ということを考えました。
もしかすると父親もまた、
同じことを考えていたのかもしれませんね。
連日の生活は
確かにお子さん中心になっています。
嫁との会話もほとんどがお子さんがらみの話です。
人の子は
こんなにも愛情を必要とするものだったのですね。
今もまた腕の中で眠ってしまった我が子が、
そんなことを忘れて自立した後でも、
父母の方にはいつまでも記憶が残るものでしょう。
今はまだ父母の指を握るのが精一杯のその手のなかに、
そのまたお子さんを抱える日が来るのでしょうか…