大切なのはレーシックの実績数ブログ:2016年02月11日
わたくしは両親と離れて住んだことが今までない。
生まれた時からわたくしが21歳になるまで、
一番長い時間離れていたのは
わたくしが修学旅行に行った時の5日間ぐらい…
特に、
わたくしとお母さんの関係は特別で、
わたくしの娘の頃のあだ名は
「お母さんのしっぽ」だった。
ただの一秒も
お母さんのそばを離れないということから、
誰かが私につけたあだ名だ。
だが、わたくしも年を重ねると、
お母さんのそばにいつも一緒にいるのは
だんだん難しくなった。
学校の授業、友人との遊び、サークル活動、バイトなど
わたくしとお母さんの間にはいろんな邪魔者が増えてきた。
そんな中…
わたくしの一年間の交換留学は、
両親にとって「衝撃的なニュース」であった。
自分の娘が外国で暮らす…など
想像もつかないことだった両親。
しかし、
両親は笑顔でわたくしに「さようなら」を言った。
別れの時、わたくしは馬鹿みたいに空港で、
「わああんわああん」
声を出して泣いてしまった。
父はおととし退職。
貧しくはないが、決して裕福ではない家庭、
これがわたくしの家庭だ。
また、今まで離れて暮らしたことない娘を、
外国に送り出す両親の心はどうだっただろう…
彼らも心の涙を流したはずだ。
飛行機の中でわたくしは決意した。
これから、一人で立ってみよう。
両親に絶対心配をかけない。
そこで、考えたのは
自分の生活費は自分で稼ぐこと。
わたくしには何も言ってくれないが、
父も退職したことだし、
きっとお金の問題があるはずだと思って
バイトをすることにした。
バイトができる資格証をもらった後で
わたくしはすぐバイト先を決めた。
ホテルでのバイトとレストランでのバイト。
二つのバイトは簡単ではなかったが、
生活費には充分だった。