レーシック手術の割引制度を有効活用ブログ:2016年10月26日
僕は親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でお酒に溺れる父、
そのことで父をなじるお母さん。
そしてその怒りを姉貴や僕にぶつけ、
姉貴はその怒りを僕にぶつけていました。
家には居場所がない…
子供の時の僕は
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
お母さんに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
僕は当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
お母さんは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
僕がみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通の子供でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのない父とお母さん、姉貴との確執。
その時の僕の望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、僕は決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そして僕は一度だけ親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
親は頭を下げました。
でも、そんな僕でも
今は少しづつ父もお母さんも姉貴も
許せていっています。
姉貴に子供が産まれ
実家で子供たちと遊ぶようになった時に、
姉貴から
「ありがとう」と感謝をされたことで
僕の中で何かがかわりはじめたんです。
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